境内末社

  • 住吉神社

    住吉神社
    (すみよしじんじゃ)

    海上安全・文化文芸上達

    安永八年(江戸時代:西暦1779年)、白崎山に勧請。摂津国一の宮:住吉大社(旧官幣大社)から和魂(にぎみたま)を勧請した。
    江戸期:安永年間といえば、エレキテルの発明で有名な平賀源内が世に活躍した時代。江戸時代の周防岩國を代表する港といえば「今津」であり、その今津港の守護神として、上方(大坂)とは船舶往来・商業取引が盛んであった関係上勧請された。本来、住吉神社は神功皇后の創祀といわれ、三柱の大神(表筒男命うわつつのおのみこと・中筒男命なかつつのおのみこと・底筒男命そこつつのおのみこと)が御祭神の御名である。三神いずれも、イザナギノミコトが禊祓(みそぎはら)いされた時に出現された神格の高い神様で、筒(ツツ)は星を指し、星は航海の針路を決定することから、海上守護・航海守護のお役目を担って出現された神様。神功皇后が新羅を征討するために出兵の際、七日七夜戦勝を祈られた際にご出現になられ、皇后はそのお教えのままに進発された。勝利凱旋された神功皇后は、神恩報謝のため、住吉三神の荒魂と和魂をそれぞれ分けてお祀りされた。〔現・大阪市/住吉大社には和魂、現・下関市/住吉神社には荒魂。〕
    江戸時代往時も今も、海上交通・航海・港湾の守護神として、また今日は海上自衛隊・海上保安庁を守護する神として尊崇を集める。また、和歌・俳句関係の奉納作品を通して、古くから有識文化人の尊崇を集めてきたため、文道風月の神としての御神徳も高く、歌の神様:作詞・作曲の神様として尊崇も広く集める。

    【配祀神】

    ・底筒男命(そこつつおのみこと)
    ・中筒男命(なかつつおのみこと)
    ・上筒男命(うわつつおのみこと)

    【ご神徳】

    海上安全・文化文芸上達の神さま

  • 粟嶌神社

    粟嶌神社
    (あわしまじんじゃ)

    病気平癒・無病息災

    安永五年(江戸時代:西暦1776年)に白崎山に勧請。和歌山市加太にある淡嶋神社が本宮。
    加太淡嶋神社の言い伝えでは、神功皇后は新羅を征討後、大和國へ帰途する途中、激しい嵐に遭遇し、沈みそうになる船中で一心に神に祈りを捧げたところ、「船の苫(とま)を海に投げ、その流れのままに船を進めるように」とのお告げがあり、加太の沖合にある友ヶ島に無事入港できた。その友ヶ島のうちの神島(淡島)に、少彦名命(すくなひこなのみこと)と大己貴命(おおなむちのみこと)二神を祀った祠があったため、この神恩に報い、三韓渡来の宝物を二神に奉納された。後年、神功皇后の孫にあたる仁徳天皇が友ヶ島に赴かれた際、その事を聞き及び感銘され、対岸の加太に遷座なされ、荘厳な社殿を建立されたと云います。
    白崎八幡宮/粟嶌神社は少彦名命、大己貴命の二神に〔素戔嗚命すさのおのみこと〕を加えた三神がお祀りされていますが、少彦名命、大己貴命が医薬の神様として霊験が高いことに加え、素戔嗚命も疫病除けの霊験が顕著であることから合祀神としてお祀りされたと思われます。特に婦人病を始めとして安産・子授けなど女性に関するあらゆることを祈願する神社として庶民に定着し、今日まで医薬神、健康守護神、病気平癒神として広く篤く尊崇を集めてきました。

    【配祀神】

    ・素盞鳴命(すさのおのみこと)
    ・少彦名命(すくなひこなのみこと)
    ・大己貴命(おおなむちのみこと)

    【ご神徳】

    病気平癒・無病息災の神さま

  • 猿田彦神社

    猿田彦神社
    (さるたひこじんじゃ)

    方災除け・みちびき全般

    安永五年(江戸時代:西暦1776年)に白崎山に勧請。
    天孫ニニギノミコトが豊葦原中國(とよあしはらのなかつくに)に降臨したとき御先導申し上げ、猿田彦大神の御神徳は、天孫降臨道開きの大功績から、みちびき全般とされる。すなわち方位除け、交通安全、開運厄除け、除災招福、試験合格、病難平癒等々枚挙にはいとまがない。なお、御神幸祭の先導に立つ高鼻の赤面をつけ、きらびやかな装束姿の猿田彦は、現在でも人々がよく知るところである。
    岩国との関連で言えば、天孫降臨を成功させた後、猿田彦大神は本拠地の伊勢に天宇受売命とともに向かうことになり、途中、岩国山を経由したとも岩国山で休憩したとも言い伝えます。猿田彦大神と天宇受売命は夫婦となり、仲睦まじく楽しく暮らして子孫を繁栄させたと云われます。

    【配祀神】

    ・猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)

    【ご神徳】

    方災除け・みちびき全般の神さま

  • 稲荷神社

    稲荷神社
    (いなりじんじゃ)

    方災除け・みちびき全般

    稲荷大神の本来の神名は「宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)」「倉稲魂命(うかのみたまのみこと」で、素戔嗚尊(すさのおのみこと)を父神・神大市比売命(かみおおいちひめのみこと)(大山津見神の娘)を母神に持つ、神格の高い出雲系国津神です。
    〔宇迦〕は〔食(うけ)〕と同じで食物の意味。元来、農耕神で穀物の神様、とくに稲の精霊とされることから稲生り(いねなり)が転化して稲荷大神と称されました。広く産業の守護神と云われ、御神徳は商売繁盛、五穀豊穣等です。
    京都「伏見稲荷大社」を本宮とし、毎年2月初午の日に初午祭をとりおこなっています。稲荷神社の社殿や鳥居が「朱(あけ)」の色なのは、「明け」に通じ、大地の生命力、物事の始まりの象徴とされるからです。
    稲荷大神の「神使(しんし)」・「使わしめ」は狐と考えられるようになり、稲荷神社では狛犬ではなく、狐の石像(銅像)を据え付けるようになった。

    【配祀神】

    ・宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)

    【ご神徳】

    工業守護・商業守護の神さま

  • 白蛇神社

    白蛇神社
    (しろへびじんじゃ)

    金銀融通・財運隆昌

    御祭神の宇賀弁財天(うがべんざいてん)さまは頭上に〔白蛇〕をまとわられており、白蛇は弁財天の「神使(しんし)・使わしめ」であると同時に、家財・財宝を守護する金運隆昌のお役目を担った「白巳大神(はくみのおおかみ)」とあがめられるようになった。また、〔宇賀〕とは〔食(うけ)〕と同じ食物の意味で、倉庫に備蓄された米や穀物といった食材=食財を守るため、ねずみ退治を主務とする白蛇がそのまま宇賀弁財天さまの化身として神格化された。
    岩国では、江戸時代になって、自然界で青大将のアルビノ個体同士の交尾生殖が偶然重なり続け、白蛇の群生地となり、今津川下一帯には相当数棲息していました。現在は国の天然記念物。
    なお、弁財天さまといえば本来インドの水神様で、日本では七福神うちの紅一点・女神様となられ、容姿も性格もたおやかで優しい福徳の神、金運/財運守護の御霊験高い女神様として尊崇を広く集めます。

    【配祀神】

    ・白蛇大神(しろへびおおかみ)

    【ご神徳】

    工業守護・商業守護の神さま

  • 剣神社

    剣神社
    (つるぎじんじゃ)

    災禍撃退・邪気退散

    御祭神:武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)は、イザナギノミコトが、火之迦具土神の御頸を十拳剣(とつかのつるぎ)で斬り給うた時、御剣の先からしたたり落ちた血から御出現された天津神(あまつかみ)。天津神うち髄一筆頭の武神・剣の神様で、〔建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)〕という御尊名を持つことから、稲妻・雷光をも自在に操る霊力を兼ね備えます。
    神話に云う国譲り交渉を成功させ、初代天皇:神武天皇が日向から大和へ御東征途中に霊剣を自らの代理として下し、一大窮地をお救いになられています。
    御神徳は勝運隆昌、武道上達、選挙当選、邪気退散、怨敵退散、電気・高圧電力作業安全守護等多岐にわたります。
    茨城:鹿島神宮の主祭神で、古くからの言い伝えに、国土の地下土中に棲む大地震発生源の大鯰(おおなまず)怪物の頭を神剣で刺し抑えて退治されているから、地震列島日本にあって、今もっともその御神威、お働きが期待される大神です。

    【配祀神】

    ・武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)

    【ご神徳】

    災禍撃退・邪気退散の神さま

  • 恵比寿神社

    恵比寿神社
    (えびすじんじゃ)

    商売繁昌

    御祭神:事代主神(ことしろぬしのかみ)。命名の由来は、事を知る神、つまり正邪を判断する能力に優れているという意味で、釣り好きを発展させ、漁師漁民の海上安全・漁業守護を第一位のお役目:御神徳として施された。七福神入りされてからは、〔大鯛を左脇に抱き、釣竿を右手に持たれた〕満面笑顔の御尊像により、『商売繁盛:福の神』=「えべっさん」と呼称され、全国商業者に圧倒的な人気を拡げました。
    大阪市:今宮戎神社での1月9日~11日の「十日えびす」で『商売繁盛笹もってこい!』の金管打楽器・笛太鼓打ち鳴らしながらの大合唱/はやしたて音頭を、ニコニコされながら聞かれます。
    本宮は島根県美保関町の美保神社(旧:国幣中社)。対岸の至近に境港(さかいみなと)があり、「水木しげるロード」があります。(水木しげる先生は鬼太郎を描いた直筆の色紙を白崎八幡宮宛に御奉納されています。)

    【配祀神】

    ・事代主神(ことしろぬしのかみ)

    【ご神徳】

    商売繁昌の神さま

  • 亀石神社

    亀石神社
    (かめいわじんじゃ)

    夫婦円満・家内安全

    「岩国」(元:磐國と書く)の地名の起こりは、太古の昔から特徴ある巨石=〔磐座(いわくら)〕が何箇所かに点在していたことに因んだと云います。一説には、その〔磐座(いわくら)の國〕を縮めて「磐國」になったと云います。その代表的な〔磐座(いわくら)〕のひとつが、「岩国山」の南面山腹に屹立鎮座する「亀石(かめいわ)」です。山に登って至近で見ると、首が有って、甲羅が盛り上がって、尾が有って、亀の形に見えます。
    その昔、神の恐れを知らない若者男子が、「亀石(かめいわ)」に弓矢を打ち放ちましたところ、矢が当たった箇所から血が流れ出し、その不届き者はたちまち気を失って、高熱を出し三日三晩昏睡で寝込み、後日に地区の長老達からこっぴどくしかられた伝説が残っています。
    天孫降臨を先導した猿田彦大神は、天宇受売命(あめのうずめのみこと)と仲良くなり、相思相愛していたため、共に連れ立って猿田彦大神の本拠地:伊勢に向かうこととなり、天翔けり、國翔けり、山野を東へ東へと移動され、伊勢に到着し、夫婦となって仲睦まじく楽しく生活したと云い伝えます。岩国山の頂上付近は、その伊勢へ移動道中の経過地で、休憩の一箇所と考えられます。その〔磐座(いわくら)〕として宛てられたのが「亀石(かめいわ)」です。
    「亀石(かめいわ)」を経由した岩国山の尾根を「亀の尾」と云いまして、尾根の先端の丘の上に、中世/鎌倉・室町時代の白崎八幡宮太宮司、弘中氏の居城「亀の尾城(かめおじょう)」が建っていました。

    【配祀神】

    ・亀石大神(かめいわのおおかみ)

    【ご神徳】

    夫婦円満・家内安全の神さま

  • 弁天神社

    弁天神社
    (べんてんじんじゃ)

    福徳・知恵・財宝・名誉・音楽・美人保持・記憶他

    御祭神:弁財天=市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)河川守護、水質守護、芸事上達、財運隆昌、美人保持、美人成長。
    弁財天様は元々はインドの水の神様。琵琶をお弾きになられる美しい女神様。日本に来られてからは美しい女神様〔市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)〕と同一神としてお祀りされていましたが、明治はじめの「神仏分離令」によって、弁財天様は寺院でお祀りされる形態を徹底しました。
    当白崎八幡宮弁天神社は「弁天」という名を表に出していますので、〔市杵島比売命〕=〔弁財天〕同一神という考え方に立脚しております。弁財天様はこの白崎山の麓、錦川(今津川)が淡水最終域に位置しますから、錦川水系を守護するためにこの地に勧請されました。錦川水系でどのような大雨集中豪雨が続こうとも、決して大洪水氾濫することがないよう、堤防が決壊しないよう、流水土砂災害・浸水被害が全く起こらないよう、一方渇水期にも枯渇することなく、飲料水・生活水・産業用水の提供に不足という事態が全く起こらないよう、御守護御加護。また、芸事上達、財運隆昌にも弁財天様はお働きなられます。
    市杵島比売命様は宗像三女神の美神姉妹のうちで、最も美しい女神様。女性がことごとに容姿端麗・美髪美肌・性格温順・理知教養・礼節謙虚な美人でありますように。

    【配祀神】

    ・市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)

    【ご神徳】

    福徳・知恵・財宝・名誉・音楽・美人保持・記憶(ぼけ封じ等)他

  • 三宝荒神社

    三宝荒神社
    (さんぽうこうじんじゃ)

    台所守護、食材安穏、食生活順調、 食中毒退散、火難防止

    屋内に竈かまど守護神として「三宝荒神様」をお祀りする。
    本来は「三宝荒神」とは仏教で言う(仏・法・僧)三種に因む表現ですが、白崎八幡宮では「三柱の竈神」という神道的解釈を採用しております。三柱あわせて「三宝荒神様」と称する台所の神様。日本国土に火を扱う生活文化の有史以来、縄文時代・弥生時代含めて数万数百年来ずっと、粘土等で竈(釜処)を築きこしらえて、そこに窯を載せ、食材を集めてきて窯に入れ、薪を投じて火を起こし、米も穀物も野菜も肉も魚も煮炊きするに、どうしても必要なのが【火】と【竈】でした。その生活守護神として、竈守護のため、三柱をお祀りして、厨=台所あるいは食事を摂る居間に、御幣を三体並べてお祀りし、三宝荒神様の依り代としたのでした。

    【配祀神】

    ・火産霊神(ほむすびのかみ)
    ・奥津彦神(おくつひこのかみ)
    ・奥津姫神(おくつひめのかみ)三柱

    【ご神徳】

    台所守護、食材安穏、食生活順調、 食中毒退散、火難防止

  • 銭亀かえる

    銭亀かえる
    (ぜにがめかえる)

    蓄財隆昌・家宝豊満・五穀豊穣

    古来、亀は爬虫類ではあっても、手足しっぽがあってどこか愛嬌がある。ましてや甲羅の文様が小判型に見えて、良い縁起を連想したりもする。
    古代には、五穀の豊作を占うために太占・卜占と言って亀の甲羅を火の中に入れて焼いて、その焦げ具合・ひび割れ具合を見て豊作かどうか不作かどうかまた、豊作のために何か手立てはないかの吉凶を判断していました。亀の甲羅は占いに用いるとても神聖な祭具だったのです。また、蛙かえるは、農耕民族日本にあって、田んぼの害虫:羽小虫を食してくれ、雨が降りそうになると鳴いてくれ、共存共栄してきました。
    商人でもお百姓さんでも、蓄財に長けた人は家の床下などに瓶かめを潜ませて、小判や文銭をそこに貯めておりました。銀行とか金融機関等預け処が無かったわけですから、個人拙宅に貯めて隠しておくしかなかった。だから【銭】を貯める【瓶かめ】→【亀】それに【蛙かえる】→【買える】【買うことが出来る】《牛・馬・服・生活物資・食材等》の語呂合わせが、まさに縁起良く『銭亀かえる』になったわけです。

    【配祀神】

    ・銭亀かえる大明神

    【ご神徳】

    蓄財隆昌・家宝豊満・五穀豊穣

  • 荒神社

    荒神社
    (こうじんしゃ)

    古来より、神道感では、その土地を太古から御守護されて来た産土神(うぶすながみ)を地神様(じじんさま)とも地荒神様(じこうじんさま)とも云って敬慕手向けする習俗・民俗学がございます。
    白崎八幡宮が創建されるはるか以前からこの土地一帯を守って来られた自然神・太古神を親しみを込めて荒神様(こうじんさま)と呼ぶわけです。

  • 白崎鎮守社

    白崎鎮守社
    (しらさきちんじゅしゃ)

    白崎八幡宮は、建長二年(1250年=鎌倉時代)に、時の旧岩国十七ヶ庄の領主であった清縄左衛門尉源良兼が、氏族の繁栄と領民安穏守護の総氏神・産土大神うぶすなのおおかみとして、今津琵琶首という地に八幡大神を勧請して宮をたてたことに縁起します。
    鎌倉時代当時は鎌倉幕府は源氏政権であり、全国に守護地頭職など源氏系統の有力者・豪族を配置していました。清縄氏もその一員でした。貞和四年(1348年)に、良兼の子孫:弘中兼胤(清縄を弘中に改称していた)が、神霊からの天啓を感じ、現在地の白崎山に荘厳な社殿を造営し奉遷いたしました。以後、弘中氏の守護職名を〔三河守みかわのかみ〕と称することを鎌倉幕府に認められ、弘中三河守として歴代の白崎八幡宮太宮司を務め、神事・祭典と所領領民の統治政務に携わってきました。しかし、弘治元年(1555)には大内氏に取って替わった横暴な周防長門の武将・陶晴堅に駆り出されて、毛利元就も認めた知将:弘中三河守隆兼でしたが、毛利元就の策略にひっかかった完全負け戦と察知しながら、心ならずも宮島に渡り、かつての盟友:毛利元就の軍勢と戦って打死にし、居城:亀尾城を出立する時の遺言で、孫の良房が白崎八幡宮宮司を継いで、毛利元就の温情をいただき、弘中から今地へ姓を改名し居城を破却すること等で、弘中氏を名義体裁上滅ぼしつつ、血統は残す形となり、以後、宮司:今地氏として今日現在に至っています。
    この白崎鎮守社は、創建者:清縄左衛尉源良兼、弘中兼胤はじめ、知将:弘中三河守源隆兼に至るまでの歴代の武将・太宮司の御神霊を奉斉して顕彰しております。