白崎八幡宮の由来

白崎八幡宮は、鎌倉中期建長2年(1250年)、時の領主、清縄左衛門尉源良兼が遠石八幡宮の御神霊が白鷺と化して室木に垂跡することを知り、氏族の繁栄と領内安民守護の神として今津琵琶首に創建奉斎したのが始まりです。
南北朝時代の貞和4年(1348年)には弘中堂内源兼胤を願主として現在地の白崎山に壮麗な社殿を造営、社領を寄進・奉遷し、旧岩国十七ヶ庄(錦見・川西・今津・室の木・牛野谷・中津・車・向今津・門前・平田・海土路・藤生・黒磯・青木・保津・六呂師・叶木)の産土神と仰ぎ、領民と共に深く尊崇しました。
その後、戦国時代の明応5年(1496年)には兵火に罹り本殿が炎焼してしまいしたが、明応7年(1498年)宝殿を修築。 文亀3年(1503年)に舞殿・籠所などを再建。以降、弘中三河守源隆兼に至るまで、代々弘中氏が大宮司を奉仕。
弘治元年(1555年)三河守失脚により、孫の今地良房が宮司を継承し、今地家が代々奉仕しています。 江戸時代には、岩国初代藩主吉川廣家が慶長5年(1600年)岩国に入封した後、慶長16年(1611年)に社殿を再建すると共に社領を献じ、武運長久と国郡豊饒を祈願しました。 歴代の藩主も白崎八幡宮を尊崇し、現在に至っています。 創建以来750年の式年を平成12年(2000年)に迎え、後世に残る平成の大造営事業として境内地を拡幅、社殿を北側後方へ移築し、神楽殿・社務所を改築、大駐車場を完備しました。

ご祭神

主祭神

【應神天皇】

(おうじんてんのう)

第15代天皇(在位:應神天皇元年〈270 年〉~應神天皇41年〈310年〉)諡号(主に帝王・相国などの貴人の死後に奉る、生前の事績への評価に基づく名のこと)を誉田別尊(ほむだわけのみこと)という。父は仲哀天皇、母は神功皇后。なお、仲哀天皇の父は日本武尊(やまとたけるのみこと)。應神天皇の時代には、朝鮮半島を通じて様々な技術集団が渡来、農地改良・太刀・論語・縫製・馬などをもたらし、技術改革や文化振興が行われた。130歳で没したとも云われている。

※ご神徳:家内安全・家運隆昌・成功勝利 ・武運長久・交通安全・病気平癒・身体健康・諸願成就


【仲哀天皇】

(ちゅうあいてんのう)

第14代天皇(在位:仲哀天皇元年〈192 年〉~仲哀天皇9年〈200年〉)諡号を足仲 彦天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)という。父は日本武尊(やまとたけるのみこと)、母は垂仁天皇(すいにんてんのう)の娘両道入姫命(ふたじいりひめのみこと)。成務天皇(第13代天皇)48年〈178年〉に立太子し、同天皇崩御に伴い即位した。「日本書紀」によれば52歳で没したと云われている。

※ご神徳:家内安全・家運隆昌・交通安全・ 心願成就


【神功皇后】

(じんぐうこうごう)

諡号を気長足姫〈息長帯比売〉(おきながたらしひめ)という。父は開化天皇(かいかてんのう)玄孫・息長宿禰王(おきながすくねのみこと)、母は葛城高顙媛(かずらきのたかぬかひめ)。仲哀天皇の妻であり、應神天皇の母でもある。仲哀天皇の死後、住吉大神のご神詫により、お腹に子どもを身籠ったまま海を渡り、新羅(しらぎ)に出陣、凱旋(がいせん)の後、筑紫の地で應神天皇を出産したと云われている。

※ご神徳:安産・子授け・子育て・武運長久 ・開運・招福・災難除け・方位除け

配祀神

【武内宿禰命】

(たけのうちのすくねのみこと)

第12代景行天皇、第13代成務天皇、第14代仲哀天皇、第15代應神天皇、第16代仁徳天皇の5代もの天皇の時期に棟梁之臣や大臣として仕え、国政を補佐したとされている。神功皇后の新羅出陣を決定づけ、忍熊皇子らの反乱鎮圧にも功を立てた。没した年齢については280歳とも360歳とも云われている。

※ご神徳:延命長寿・武運長久・政治安泰 ・財運隆昌・立身出世


【埴安姫命】

(はにやすひめのみこと)

日本神話に登場する「土の神さま」。「埴(ハニ)」とは粘土のことで、「埴安(ハニヤス)」は土を練って柔らかくすることの意味であるとされる。

※ご神徳:農業繁栄・土木工事安全・陶器 産業繁栄


【事代主命】

(ことしろぬしのみこと)

日本神話に登場する神さま。別名を「八重言代主神」「八重事代主神」という。「事代(コトシロ)」は「言知る」の意味で、託宣を司る神さまとされている。

※ご神徳:海上安全・漁業守護・豊漁円満


【素盞嗚尊】

(すさのおのみこと)

日本神話に登場する神さま。別名を「建速須佐之男命」という。出雲の鳥髪山へ行った建速須佐之男命が、その地を荒らしていた八岐大蛇(ヤマタノオロチ)に食われることになっていた櫛名田比売(クシナダヒメ)を歯の多い櫛に変えて髪に挿し、八岐大蛇を退治する話は有名である。

※ご神徳:除災招福・開運厄除・国土安泰 ・国家安泰


【菅原道真公】

(すがわらみちざねこう)

平安時代の貴族、学者。漢詩人、政治家。宇多天皇の時代に寛平の治を支えた一人。醍醐天皇の時代には右大臣にまで昇進した。しかしながら、藤原時平に謀られ大宰府へ左遷されて現地で没した。死後、天変地異が多発したことから、「祟り封じの天神さま」として信仰の対象となった。やがて災害の記憶が風化するに従い、道真が生前学問に長けていたことから、学問の神として信仰されるようになったと云われている。

※ご神徳:学業成就・合格成就・災難除け・ 立身出世・和歌上達


【五男神】

(いつはしらのひこがみ)

天照皇大神と素盞嗚尊が天の八洲川原における誓約を交わした際、天照皇大神の勾玉よりお生まれになった五人の男の神さま。稲穂の神・農業の神として信仰されている『天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)』、農業の神・稲穂の神・養蚕の神・木綿の神・産業の神として信仰される『天穂日尊(あめのほひのみこと)』、日の神・海の神・風の神として信仰されている『天津彦根尊(あまつひこねのみこと)』のほか、『活津彦根尊(いくつひこねのみこと)』、『熊津樟日尊(くまつくすびのみこと)』がおられる。


【大山祗神】

(おおやまつみのかみ)

日本神話に登場する神さま。別名を「和多志大神」「酒解神」ともいう。「ツ」は「の」、「ミ」は「神霊」のことで、「大いなる山の神」という意味であるとされる。別名の和多志大神の「ワタ」は「海」の古語で、海の神を表している。また、息子の誕生を喜んだ大山祗が酒を造り神々に奉げたことから、酒造の神ともされている。

※ご神徳:武運長久・林業安全・国土緑化


【金山彦命】

(かなやまひこのみこと)

日本神話に登場する神さま。神名の通り「金山」(鉱山)を司る鉱山の神さまとして信仰されている。また、荒金を採る神さまとされ、鉱業・鍛冶など、金属に関する技工を守護する神様ともされている。

※ご神徳:鉱山守護・金属系土木工事安全


【少童神】

(わたつみのかみ)

日本神話に登場する神さま。綿津見神と書かれることもある。「ワタ」は「海」の古語、「ツ」は「の」、「ミ」は「神霊」のことで、「ワタツミ」は「海の神霊」という意味であるとされる。伊邪那岐が黄泉から戻り禊をした際、底津綿津見神(ソコツワタツミノカミ)、中津綿津見神(ナカツワタツミノカミ)、上津綿津見神(ウワツワタツミノカミ)の三神が生まれ、この三神を総称して「ワタツミノカミ」と呼んでいる。

※ご神徳:漁業繁栄・航海安全・海上運輸 安全

白崎八幡宮について

白崎八幡宮前景

お電話でのお問い合わせ

Tel.0827-29-1122

ファックスでのお問い合わせ

Fax.0827-29-1138

窓口時間は9:00~17:00

参拝は終日可能です。

アクセスマップ

〒740-0017山口県岩国市今津町6-12-23

岩国駅前バス停から乗り、八幡バス停で下車(6分)し、徒歩2分。

岩国空港(岩国錦帯橋空港)から車で7分。

山陽自動車道「岩国IC」から車で15分。

錦帯橋から車で8分

境内のご紹介

御神水

ここ白崎八幡宮に人々のため、立ち昇る龍の如く地域の繁栄に祈りを捧げて掘り当てたという想いが宿る神水「白崎の水」。清涼感ある湧水は、地下131mから汲みあげる錦川の伏流水。そのまま飲用できる水質で、飲用や料理に使えます。毎日、ペットボトル等を持参した参拝客が多く訪れる名水です。金龍の石の彫刻は必見。

干支飾り絵馬

平成26年から、まさに十二年計画で干支飾り絵馬を拝殿鴨居に掛け出し奉納いたしております。参拝者のみなさまの姓名を絵馬額縁に書き入れいたしまして、今後何百年も残るよう施します。生まれ年と同じ干支【年男・年女】に奉賛されるのはもちろん、ご家族ご親戚、本年に格別な祈願を賭けて奉賛される方も大歓迎いたしております。

干支石像

古来より干支(干支物)は陰陽を分ち、四時(春夏秋冬)をたて、季節を移すものとされ、森羅万象の決まりごとを運び、長寿・富貴・除災招福・開運厄除のご利益があるとされました。当宮の干支石像をなでることで、ご神徳が得られるとされています。生まれ年と同じ干支に刻名も承っております。格別な祈願を賭けて奉賛される方も歓迎いたします。

車祓所

新車、中古車をご納入の際は、どうぞ当社までお越し頂き、お車のお祓いをお受け下さい。

大型駐車場

広い駐車場を完備しておりますので、どうぞ安心してお車でお出かけください。

バリアフリートイレ

車椅子の方やお年寄りの方も安心してお参りいただけます。

施設・テナントのご紹介

シーエス

白崎八幡宮の宝物

太刀・守吉作(たち・もりよしさく)

長さ83.0㎝、反り2.6㎝、刃幅が広く、鎬(しのぎ)の幅が狭い「鎬造り」の太刀です。切っ先は猪の首のような形になっています。南北朝時代の1347年(貞和3年)の10月、備前鍛冶畠田の守吉が、岩国市室木・今津一帯を支配していた源兼胤(弘中堂内兼胤)の依頼を受けて、白崎八幡宮への奉納の品として造ったものです。同銘の刃文のない無焼刃と一対で奉納されました。昭和2年(1927年)4月25日に文部省告示により国宝に指定されました。昭和25年(1950年)8月29日に文化財保護法施行により、現在では重要文化財となっています。白崎八幡宮には対の太刀守吉と、それ以外にも安吉作の太刀がありましたが、戦時中靖国神社に展示することとなり、終戦後所在が不明となっています。

銅製梵鐘(どうせいぼんしょう)

時の豪族弘中五郎兼良(ひろなかごろうかねよし)は文武に名があり、のちに出家して仏道に入り、慧増と称しました。兼良の妻女、中津の朝日長者と呼ばれていた加屋遠江の娘は晩年剃髪して法名慧通を名乗り、夫の遺志を継いで貞治5年(1366年)10月白崎八幡宮に梵鐘を寄進しました。鋳造には自らの黄金入り大鏡を使用させ、その鐘の音は七里離れた場所まで聞こえたと云われています。昭和45年(1970年)8月に岩国市指定文化財となりました。梵鐘には次のことが鋳込んであります。

防州岩国白崎八幡宮鐘
右意趣者故慧僧禪門有造鐘之願不成而死後
室慧通継彼之志願鋳此洪鐘以死夫追善而己
貞治五年丙午十月十五日
大願主
比丘尼慧通
大工沙弥釈阿

棟札(むなふだ)

札は、寺社・民家など建物の建築・修築の記録・記念として、棟木・梁など建物内部の高所に取り付けた札です。書かれる内容は築造・修理の目的を記した意趣文やその年月日や建築主・大工の名・工事の目的などの建築記録ですが、関連して他の事に及ぶものもあります。棟札に記されている内容には誤記などがある場合もありますが、その建物をはじめその地域の歴史や文化に関する重要な歴史的史料となり、文化財に指定されているものも多くあります。白崎八幡宮にも当宮御縁起を記した文亀3年(1503年)完工の宝殿棟札をはじめとし、慶長16年(1611年)吉川廣家による社殿改築時のものから改修築時のものまで、多数の棟札があります。

境内末社のご案内


配祀神

底筒男命(そこつつおのみこと)

中筒男命(なかつつおのみこと)

上筒男命(うわつつおのみこと)

ご神徳

海上安全・文化文芸上達の神さま

住吉神社

(すみよしじんじゃ)

海上安全・文化文芸上達

安永八年(江戸時代:西暦1779年)、白崎山に勧請。摂津国一の宮:住吉大社(旧官幣大社)から和魂(にぎみたま)を勧請した。
江戸期:安永年間といえば、エレキテルの発明で有名な平賀源内が世に活躍した時代。江戸時代の周防岩國を代表する港といえば「今津」であり、その今津港の守護神として、上方(大坂)とは船舶往来・商業取引が盛んであった関係上勧請された。本来、住吉神社は神功皇后の創祀といわれ、三柱の大神(表筒男命うわつつのおのみこと・中筒男命なかつつのおのみこと・底筒男命そこつつのおのみこと)が御祭神の御名である。三神いずれも、イザナギノミコトが禊祓(みそぎはら)いされた時に出現された神格の高い神様で、筒(ツツ)は星を指し、星は航海の針路を決定することから、海上守護・航海守護のお役目を担って出現された神様。神功皇后が新羅を征討するために出兵の際、七日七夜戦勝を祈られた際にご出現になられ、皇后はそのお教えのままに進発された。勝利凱旋された神功皇后は、神恩報謝のため、住吉三神の荒魂と和魂をそれぞれ分けてお祀りされた。〔現・大阪市/住吉大社には和魂、現・下関市/住吉神社には荒魂。〕
江戸時代往時も今も、海上交通・航海・港湾の守護神として、また今日は海上自衛隊・海上保安庁を守護する神として尊崇を集める。また、和歌・俳句関係の奉納作品を通して、古くから有識文化人の尊崇を集めてきたため、文道風月の神としての御神徳も高く、歌の神様:作詞・作曲の神様として尊崇も広く集める。


配祀神

素盞鳴命(すさのおのみこと)

少彦名命(すくなひこなのみこと)

大己貴命(おおなむちのみこと)

ご神徳

病気平癒・無病息災の神さま

粟嶌神社

(あわしまじんじゃ)

病気平癒・無病息災

安永五年(江戸時代:西暦1776年)に白崎山に勧請。和歌山市加太にある淡嶋神社が本宮。
加太淡嶋神社の言い伝えでは、神功皇后は新羅を征討後、大和國へ帰途する途中、激しい嵐に遭遇し、沈みそうになる船中で一心に神に祈りを捧げたところ、「船の苫(とま)を海に投げ、その流れのままに船を進めるように」とのお告げがあり、加太の沖合にある友ヶ島に無事入港できた。その友ヶ島のうちの神島(淡島)に、少彦名命(すくなひこなのみこと)と大己貴命(おおなむちのみこと)二神を祀った祠があったため、この神恩に報い、三韓渡来の宝物を二神に奉納された。後年、神功皇后の孫にあたる仁徳天皇が友ヶ島に赴かれた際、その事を聞き及び感銘され、対岸の加太に遷座なされ、荘厳な社殿を建立されたと云います。
白崎八幡宮/粟嶌神社は少彦名命、大己貴命の二神に〔素戔嗚命すさのおのみこと〕を加えた三神がお祀りされていますが、少彦名命、大己貴命が医薬の神様として霊験が高いことに加え、素戔嗚命も疫病除けの霊験が顕著であることから合祀神としてお祀りされたと思われます。特に婦人病を始めとして安産・子授けなど女性に関するあらゆることを祈願する神社として庶民に定着し、今日まで医薬神、健康守護神、病気平癒神として広く篤く尊崇を集めてきました。


配祀神

猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)

ご神徳

方災除け・みちびき全般の神さま

猿田彦神社

(さるたひこじんじゃ)

方災除け・みちびき全般

安永五年(江戸時代:西暦1776年)に白崎山に勧請。
天孫ニニギノミコトが豊葦原中國(とよあしはらのなかつくに)に降臨したとき御先導申し上げ、猿田彦大神の御神徳は、天孫降臨道開きの大功績から、みちびき全般とされる。すなわち方位除け、交通安全、開運厄除け、除災招福、試験合格、病難平癒等々枚挙にはいとまがない。なお、御神幸祭の先導に立つ高鼻の赤面をつけ、きらびやかな装束姿の猿田彦は、現在でも人々がよく知るところである。
岩国との関連で言えば、天孫降臨を成功させた後、猿田彦大神は本拠地の伊勢に天宇受売命とともに向かうことになり、途中、岩国山を経由したとも岩国山で休憩したとも言い伝えます。猿田彦大神と天宇受売命は夫婦となり、仲睦まじく楽しく暮らして子孫を繁栄させたと云われます。


配祀神

宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)

ご神徳

工業守護・商業守護の神さま

稲荷神社

(いなりじんじゃ)

工業守護・商業守護

稲荷大神の本来の神名は「宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)」「倉稲魂命(うかのみたまのみこと」で、素戔嗚尊(すさのおのみこと)を父神・神大市比売命(かみおおいちひめのみこと)(大山津見神の娘)を母神に持つ、神格の高い出雲系国津神です。
〔宇迦〕は〔食(うけ)〕と同じで食物の意味。元来、農耕神で穀物の神様、とくに稲の精霊とされることから稲生り(いねなり)が転化して稲荷大神と称されました。広く産業の守護神と云われ、御神徳は商売繁盛、五穀豊穣等です。
京都「伏見稲荷大社」を本宮とし、毎年2月初午の日に初午祭をとりおこなっています。稲荷神社の社殿や鳥居が「朱(あけ)」の色なのは、「明け」に通じ、大地の生命力、物事の始まりの象徴とされるからです。
稲荷大神の「神使(しんし)」・「使わしめ」は狐と考えられるようになり、稲荷神社では狛犬ではなく、狐の石像(銅像)を据え付けるようになった。


配祀神

白蛇大神(しろへびおおかみ)

ご神徳

工業守護・商業守護の神さま

白蛇神社

(しろへびじんじゃ)

金銀融通・財運隆昌

御祭神の宇賀弁財天(うがべんざいてん)さまは頭上に〔白蛇〕をまとわられており、白蛇は弁財天の「神使(しんし)・使わしめ」であると同時に、家財・財宝を守護する金運隆昌のお役目を担った「白巳大神(はくみのおおかみ)」とあがめられるようになった。また、〔宇賀〕とは〔食(うけ)〕と同じ食物の意味で、倉庫に備蓄された米や穀物といった食材=食財を守るため、ねずみ退治を主務とする白蛇がそのまま宇賀弁財天さまの化身として神格化された。
岩国では、江戸時代になって、自然界で青大将のアルビノ個体同士の交尾生殖が偶然重なり続け、白蛇の群生地となり、今津川下一帯には相当数棲息していました。現在は国の天然記念物。
なお、弁財天さまといえば本来インドの水神様で、日本では七福神うちの紅一点・女神様となられ、容姿も性格もたおやかで優しい福徳の神、金運/財運守護の御霊験高い女神様として尊崇を広く集めます。


配祀神

武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)

ご神徳

災禍撃退・邪気退散の神さま

剣神社

(つるぎじんじゃ)

災禍撃退・邪気退散

御祭神:武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)は、イザナギノミコトが、火之迦具土神の御頸を十拳剣(とつかのつるぎ)で斬り給うた時、御剣の先からしたたり落ちた血から御出現された天津神(あまつかみ)。天津神うち髄一筆頭の武神・剣の神様で、〔建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)〕という御尊名を持つことから、稲妻・雷光をも自在に操る霊力を兼ね備えます。
神話に云う国譲り交渉を成功させ、初代天皇:神武天皇が日向から大和へ御東征途中に霊剣を自らの代理として下し、一大窮地をお救いになられています。
御神徳は勝運隆昌、武道上達、選挙当選、邪気退散、怨敵退散、電気・高圧電力作業安全守護等多岐にわたります。
茨城:鹿島神宮の主祭神で、古くからの言い伝えに、国土の地下土中に棲む大地震発生源の大鯰(おおなまず)怪物の頭を神剣で刺し抑えて退治されているから、地震列島日本にあって、今もっともその御神威、お働きが期待される大神です。


配祀神

事代主神(ことしろぬしのかみ)

ご神徳

商売繁昌の神さま

恵比寿神社

(えびすじんじゃ)

商売繁昌

御祭神:事代主神(ことしろぬしのかみ)。命名の由来は、事を知る神、つまり正邪を判断する能力に優れているという意味で、釣り好きを発展させ、漁師漁民の海上安全・漁業守護を第一位のお役目:御神徳として施された。七福神入りされてからは、〔大鯛を左脇に抱き、釣竿を右手に持たれた〕満面笑顔の御尊像により、『商売繁盛:福の神』=「えべっさん」と呼称され、全国商業者に圧倒的な人気を拡げました。
大阪市:今宮戎神社での1月9日~11日の「十日えびす」で『商売繁盛笹もってこい!』の金管打楽器・笛太鼓打ち鳴らしながらの大合唱/はやしたて音頭を、ニコニコされながら聞かれます。
本宮は島根県美保関町の美保神社(旧:国幣中社)。対岸の至近に境港(さかいみなと)があり、「水木しげるロード」があります。(水木しげる先生は鬼太郎を描いた直筆の色紙を白崎八幡宮宛に御奉納されています。)


配祀神

亀石大神(かめいわのおおかみ)

ご神徳

夫婦円満・家内安全の神さま

亀石神社

(かめいわじんじゃ)

夫婦円満・家内安全

「岩国」(元:磐國と書く)の地名の起こりは、太古の昔から特徴ある巨石=〔磐座(いわくら)〕が何箇所かに点在していたことに因んだと云います。一説には、その〔磐座(いわくら)の國〕を縮めて「磐國」になったと云います。その代表的な〔磐座(いわくら)〕のひとつが、「岩国山」の南面山腹に屹立鎮座する「亀石(かめいわ)」です。山に登って至近で見ると、首が有って、甲羅が盛り上がって、尾が有って、亀の形に見えます。
その昔、神の恐れを知らない若者男子が、「亀石(かめいわ)」に弓矢を打ち放ちましたところ、矢が当たった箇所から血が流れ出し、その不届き者はたちまち気を失って、高熱を出し三日三晩昏睡で寝込み、後日に地区の長老達からこっぴどくしかられた伝説が残っています。
天孫降臨を先導した猿田彦大神は、天宇受売命(あめのうずめのみこと)と仲良くなり、相思相愛していたため、共に連れ立って猿田彦大神の本拠地:伊勢に向かうこととなり、天翔けり、國翔けり、山野を東へ東へと移動され、伊勢に到着し、夫婦となって仲睦まじく楽しく生活したと云い伝えます。岩国山の頂上付近は、その伊勢へ移動道中の経過地で、休憩の一箇所と考えられます。その〔磐座(いわくら)〕として宛てられたのが「亀石(かめいわ)」です。
「亀石(かめいわ)」を経由した岩国山の尾根を「亀の尾」と云いまして、尾根の先端の丘の上に、中世/鎌倉・室町時代の白崎八幡宮太宮司、弘中氏の居城「亀の尾城(かめおじょう)」が建っていました。


配祀神

市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)

ご神徳

福徳・知恵・財宝・名誉・音楽・美人保持・記憶(ぼけ封じ等)他

弁天神社

(べんてんじんじゃ)

福徳・知恵・財宝・名誉・音楽・美人保持・記憶他

御祭神:弁財天=市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)河川守護、水質守護、芸事上達、財運隆昌、美人保持、美人成長。
弁財天様は元々はインドの水の神様。琵琶をお弾きになられる美しい女神様。日本に来られてからは美しい女神様〔市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)〕と同一神としてお祀りされていましたが、明治はじめの「神仏分離令」によって、弁財天様は寺院でお祀りされる形態を徹底しました。
当白崎八幡宮弁天神社は「弁天」という名を表に出していますので、〔市杵島比売命〕=〔弁財天〕同一神という考え方に立脚しております。弁財天様はこの白崎山の麓、錦川(今津川)が淡水最終域に位置しますから、錦川水系を守護するためにこの地に勧請されました。錦川水系でどのような大雨集中豪雨が続こうとも、決して大洪水氾濫することがないよう、堤防が決壊しないよう、流水土砂災害・浸水被害が全く起こらないよう、一方渇水期にも枯渇することなく、飲料水・生活水・産業用水の提供に不足という事態が全く起こらないよう、御守護御加護。また、芸事上達、財運隆昌にも弁財天様はお働きなられます。
市杵島比売命様は宗像三女神の美神姉妹のうちで、最も美しい女神様。女性がことごとに容姿端麗・美髪美肌・性格温順・理知教養・礼節謙虚な美人でありますように。


配祀神

火産霊神(ほむすびのかみ)奥津彦神(おくつひこのかみ)奥津姫神(おくつひめのかみ)三柱

ご神徳

台所守護、食材安穏、食生活順調、 食中毒退散、火難防止

三宝荒神社

(さんぽうこうじんじゃ)

台所守護、食材安穏、食生活順調、 食中毒退散、火難防止

屋内に竈かまど守護神として「三宝荒神様」をお祀りする。
本来は「三宝荒神」とは仏教で言う(仏・法・僧)三種に因む表現ですが、白崎八幡宮では「三柱の竈神」という神道的解釈を採用しております。三柱あわせて「三宝荒神様」と称する台所の神様。日本国土に火を扱う生活文化の有史以来、縄文時代・弥生時代含めて数万数百年来ずっと、粘土等で竈(釜処)を築きこしらえて、そこに窯を載せ、食材を集めてきて窯に入れ、薪を投じて火を起こし、米も穀物も野菜も肉も魚も煮炊きするに、どうしても必要なのが【火】と【竈】でした。その生活守護神として、竈守護のため、三柱をお祀りして、厨=台所あるいは食事を摂る居間に、御幣を三体並べてお祀りし、三宝荒神様の依り代としたのでした。


配祀神

銭亀かえる大明神

ご神徳

蓄財隆昌・家宝豊満・五穀豊穣

銭亀かえる

(ぜにがめかえる)

蓄財隆昌・家宝豊満・五穀豊穣

古来、亀は爬虫類ではあっても、手足しっぽがあってどこか愛嬌がある。ましてや甲羅の文様が小判型に見えて、良い縁起を連想したりもする。
古代には、五穀の豊作を占うために太占・卜占と言って亀の甲羅を火の中に入れて焼いて、その焦げ具合・ひび割れ具合を見て豊作かどうか不作かどうかまた、豊作のために何か手立てはないかの吉凶を判断していました。亀の甲羅は占いに用いるとても神聖な祭具だったのです。また、蛙かえるは、農耕民族日本にあって、田んぼの害虫:羽小虫を食してくれ、雨が降りそうになると鳴いてくれ、共存共栄してきました。
商人でもお百姓さんでも、蓄財に長けた人は家の床下などに瓶かめを潜ませて、小判や文銭をそこに貯めておりました。銀行とか金融機関等預け処が無かったわけですから、個人拙宅に貯めて隠しておくしかなかった。だから【銭】を貯める【瓶かめ】→【亀】それに【蛙かえる】→【買える】【買うことが出来る】《牛・馬・服・生活物資・食材等》の語呂合わせが、まさに縁起良く『銭亀かえる』になったわけです。


荒神社

(こうじんしゃ)

古来より、神道感では、その土地を太古から御守護されて来た産土神(うぶすながみ)を地神様(じじんさま)とも地荒神様(じこうじんさま)とも云って敬慕手向けする習俗・民俗学がございます。
白崎八幡宮が創建されるはるか以前からこの土地一帯を守って来られた自然神・太古神を親しみを込めて荒神様(こうじんさま)と呼ぶわけです。


白崎鎮守社

(しらさきちんじゅしゃ)

白崎八幡宮は、建長二年(1250年=鎌倉時代)に、時の旧岩国十七ヶ庄の領主であった清縄左衛門尉源良兼が、氏族の繁栄と領民安穏守護の総氏神・産土大神うぶすなのおおかみとして、今津琵琶首という地に八幡大神を勧請して宮をたてたことに縁起します。
鎌倉時代当時は鎌倉幕府は源氏政権であり、全国に守護地頭職など源氏系統の有力者・豪族を配置していました。清縄氏もその一員でした。貞和四年(1348年)に、良兼の子孫:弘中兼胤(清縄を弘中に改称していた)が、神霊からの天啓を感じ、現在地の白崎山に荘厳な社殿を造営し奉遷いたしました。以後、弘中氏の守護職名を〔三河守みかわのかみ〕と称することを鎌倉幕府に認められ、弘中三河守として歴代の白崎八幡宮太宮司を務め、神事・祭典と所領領民の統治政務に携わってきました。しかし、弘治元年(1555)には大内氏に取って替わった横暴な周防長門の武将・陶晴堅に駆り出されて、毛利元就も認めた知将:弘中三河守隆兼でしたが、毛利元就の策略にひっかかった完全負け戦と察知しながら、心ならずも宮島に渡り、かつての盟友:毛利元就の軍勢と戦って打死にし、居城:亀尾城を出立する時の遺言で、孫の良房が白崎八幡宮宮司を継いで、毛利元就の温情をいただき、弘中から今地へ姓を改名し居城を破却すること等で、弘中氏を名義体裁上滅ぼしつつ、血統は残す形となり、以後、宮司:今地氏として今日現在に至っています。
この白崎鎮守社は、創建者:清縄左衛尉源良兼、弘中兼胤はじめ、知将:弘中三河守源隆兼に至るまでの歴代の武将・太宮司の御神霊を奉斉して顕彰しております。