夏越大祓とは

六月の晦日と十二月の大晦日に、宮中をはじめ各地の神社で大祓式が斎行されます。古くは日本国中の罪穢(つみけがれ)を祓う国家儀礼として執り行われていました。特に六月晦日の大祓式は「夏越大祓(なごしのおおはらえ)」とも「すがぬけ」とも称され、茅(かや)でできた茅の輪(ちのわ)をくぐり、紙の人形代(ひとかたしろ)に息を吹きかけて、わが身の「罪・科(とが)・汚(けが)れ」一切を託し、清らかな神社の火で焚(た)き清めて半年間の罪穢一切を祓い、来る夏の酷暑よりも無病息災・身体健康に命を護(まも)るべく重要な神事です。

『備後国風土記(びんごのくにふどき)』逸文(いつぶん)によれば、昔、武塔(むとう)天神が旅の途中、将来(しょうらい)兄弟に一夜の宿を乞うと、弟の巨旦(こたん)将来は裕福にもかかわらず追い返し、兄の蘇民(そみん)将来は貧しいながら快くもてなした。数年後、礼に訪れた天神は「我は素盞嗚尊(すさのおのみこと)である。疫病(えきびょう)が流行したら蘇民将来の子孫と言い、茅の輪を腰の上に着けよ。厄災(やくさい)を免れるだろう」と告げた。お陰で蘇民将来の一家だけが助かったという。六月晦日の「夏越大祓」「すがぬけ=茅の輪くぐり」はこの神話に基づく神事です。

茅の輪のくぐり方

「蘇民将来」という言葉を唱えながら、左・右・左と三回くぐり抜け、心身を清めます。その際、それぞれに和歌を詠みます。

一、思う事 皆つきねとて麻の葉を きりにきりても祓いつるかな

二、水無月の 夏越の祓する人は 千歳の命延ぶというなり

三、宮川の清き流れにみそぎせば 祈れる事の叶わぬはなし

人形代

人形代には邪気等を吸い取る力があり、さらには、強力な祓い浄めの力を持つとされる忌火で焚き清めることにより「罪・科・汚れ」等、邪気・不浄の一切を消滅させます。

『備後国風土記』素盞嗚尊のお話

昔むかし、北の海にいらっしゃったという武塔の神さまが、南の海にいらっしゃったという女神を求めてお出かけになられたところ、日がすっかり暮れてしまいました。武塔の神さまが、どうしようかなと困ってらっしゃったところ、そこには、二人の兄弟が住んでいました。 兄は、蘇民将来、弟は巨旦将来と申しました。兄はとても貧しく、弟は富み栄えており、倉が百もあるほどでした。武塔の神さまが、まず弟に宿を貸してくださいとお頼みになりましたが、弟は物惜しみをして、貸しませんでした。貧しい兄は、快く引き受け、粟でつくった御座にお座りいただき、粟でつくった御飯で、おもてなしをしてさしあげました。さて、一晩お泊りになった武塔の神さまは、出立してから数年して、ふたたびこの地へ、八柱の御子をつれて、お帰りになりました。そして、兄の蘇民将来の家にいらっしゃり、「私は、おまえのためにお礼をしたいと思う。子や孫が、お前の家にいるのか。」とお尋ねになりました。蘇民将来は「私には、娘と妻がおります。」とお答え申し上げました。すると、武塔の神さまは「茅がやで、輪をつくって、腰の上につけさせなさい。」とおっしゃいました。武塔の神さまのおっしゃるとおり、茅の輪をつけたところ、その夜のうちに蘇民の娘一人を残して、すべて死に絶えてしまいました。武塔の神さまは「吾は、はやすさのおのかみぞ。後の世に、ひどい流行病がはやったならば、『蘇民将来の子孫だ』といい、茅の輪を腰につけなさい。そうすればどんなひどい流行病も、必ずまぬがれるであろう。」とおっしゃいました。