今からおよそ750年以上の昔(鎌倉時代中期)、周防・岩国 の十七ヶ庄を 治めていた
清縄左衛門尉良兼という豪族がいました。その良兼の息子がある日、友達と弓で野鳥を
射って遊んでいました。すると、息子の放った一本の矢が、川辺にたたずんでいた一羽の
白さぎに命中し、一度は空を舞いかけましたが、地面に落ちて息絶えてしまいました。
その日の夜から、息子は突然熱がでて寝込んでしまいました。 その後、 ひどい高熱が
四、五日続き医者を呼んでも原因がわからず治りません。このままでは息子が死んでし
まうと思い、良兼は霊能者の老人を呼び よせて息子を見てもらいました。すると老人に
異変が現われました。そこで老人が言うには、「わしは国つ神(神様)の応神天皇じゃ。
先日、白さぎに姿を変えこの地に飛んで来たところ、お前の息子が放った矢が刺さり、
息絶えてしまった。だから、息子にさわりをおこしたのだ。もし助けてほしければ白さぎの
亡骸を埋め、塚を作りほこらを建ててとむらうがよい。
心から非礼を詫びよ。そうすれば息子の命は助けてやろう。そして、御神霊 (神様の魂)を
今津の地に招き、社殿を建てて祀ればこれから先、 永遠にお前の一族と領地領民を
守ってやろう。」早速、良兼は言われた通りに、息絶えていた白さぎをとむらい、息子も
心から非礼を詫びたところ、たちまち熱は下がり元気になりました。
ほどなく良兼は、今津琵琶の首(現今津町内)に御神霊(神様の魂)を招き、
白崎八幡宮を建立しました。
そして現在に至るまで領地領民、みんなを守ってくれています。