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白崎八幡宮は、貞和4年(1348)に今地家遠祖の弘中堂内源兼胤を願主として、現在の白崎山に壮麗な
社殿を 造営し、さらに社領をも寄進しました。岩国17ヶ庄の産土神として、領主領民から深く尊崇されるこ
ととなりました。戦国時代の明応5年(1496)、兵火に罹り本殿が炎焼したが、その後明応7年(1498)に
本殿・宝殿を修築。文亀3年(1503)、舞殿・籠所などを弘中右衛門尉弘信が再建。永正8年(1511)、
楼門を建立。以後弘中三河守隆兼に至る迄、弘中氏が「大宮司」を奉仕し、弘治元年(1555)には孫の
今地良房(弘中を今地と改姓)がぐう辞職を継承し、今地家が代々奉仕する。江戸時代になると、岩国初代
藩主吉川広家が、慶長5年(1600)に岩国に移封し、慶長16年(1611)、社殿を再建する。さらに社領を
謙譲して、「武運長久・国郡豊饒」を祈願する。歴代の藩主も白崎八幡宮を尊崇され、元和・万治・天和・宝永
及び寛政と5回に亘り、改修築を行う。現在の建物は明治17年(1848)に本殿を、大正10年(1921)に
本殿をそれぞれ桧皮葺で建立をして、現在に至る。
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