宮司より龍笛を給ひぬ

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先日、世が世であれば将軍と称え奉らむとする宮司より龍笛を賜りました。

初めて吹いたため中々音を出すのが難しい。

まずは音を出す練習から頑張ります。

 

因みに宮司の系譜です。

 

弘中氏及び今地氏系譜

初代━━━貞純親王(さだずみしんのう) 貞観16年(874)生~延喜16年(916)没
56代清和天皇第6皇子

二代━━━経基王(つねもとおう) 寛平8年(896)生~元徳元年(957)没
貞純親王嫡男

三代━━━源 満仲(みなもとみつなか) 延喜12年(912)生~長徳3年(997)没
経基王嫡男

四代━━━源 頼信(みなもとよりのぶ) 天延2年(974)生~永承3年(1048)没
満仲次男

五代━━━源 頼義(みなもとよりよし) 長保5年(1003)生~永保2年(1082)没
頼信長男

六代━━━源 範良(みなもとのりよし)  ~大治2年(1127)没
頼義の子  これより清縄氏を称する

七代━━━清縄五郎良俊(きよなわごろうよしとし)  ~嘉応元年(1169)没
範良嫡男

八代━━━清縄左ヱ門尉良兼(きよなわさえもんいよしかね)  ~正嘉2年(1258)
良俊嫡男  白崎八幡宮初代宮司
ある夜、白鷺が室の木に止まる夢を見た。その夢の中で白鷺が
「私は遠石八幡大菩薩の化身である。迷い苦しんでいる者を救って、
悟りの境地に導く為にこの地で仏法を保護しよう。」と告げた。
この御託宣に感じ入り、建長2年(1250)、今津琵琶首に氏神として
八幡宮を創建した。

九代━━━弘中堂内兼胤(ひろなかどうないかねたね)
良兼嫡男  白崎八幡宮二代目宮司
清縄氏改め弘中氏と称す
貞和4年(1348)、八幡宮宝殿を白崎山に遷し、さらに神社へ領地を寄進、
神社に関する役職を定めた。

十代━━━弘中五郎兼良(ひろなかごろうかねよし)
兼胤嫡男  白崎八幡宮三代目宮司
妻女は中津(現:岩国市中津町)の長者、加屋遠江の娘。妻女の晩年は剃髪し、
法名慧通を名乗り、貞治5年(1366)に白崎八幡宮梵鐘【岩国市指定文化財】
を寄進した。

十一代━━弘中右ヱ門太夫兼貞(ひろなかうえもんだゆうかねさだ)
兼良嫡男  白崎八幡宮四代目宮司

十二代━━弘中甚之丞兼勝(ひろなかじんのじょうかねかつ)
兼貞嫡男  白崎八幡宮五代目宮司
応永6年(1399)大内義弘の従将となる。

十三代━━右衛門尉弘信(うえもんいひろのぶ)
白崎八幡宮六代目宮司
応仁の乱の際、大内政弘勅命により平定に尽力する。
文亀3年(1503)白崎八幡宮の宝殿を、永正8年(1511)
白崎八幡宮楼門を造営した。

十四代━━弘中下野守興勝(ひろなかしものかみおきかつ)
弘信嫡男  白崎八幡宮七代目宮司
はじめは興輔と称していた。

十五代━━弘中三河守隆包《隆兼》(ひろなかみかわのかみたかかね)
興勝嫡男  白崎八幡宮八代目宮司
陶 晴賢の反逆により大内氏滅亡。陶の命により厳島合戦で毛利軍と戦い、
弘治元年(1555)10月3日、次男隆佐とともに厳島竜ヶ馬場で討死した。

十六代━━弘中中務少輔隆佐(ひろなかなかつかさしょうすけたかすけ)
隆包次男  白崎八幡宮九代目宮司
父隆包と共に厳島合戦で討死した。
これで武家としての弘中氏は終わりを告げた。

白崎八幡宮十代目宮司━━━良房(今地と改姓)
隆佐の子

白崎八幡宮十一代目宮司━━今地良女

白崎八幡宮十二代目宮司━━今地良長

白崎八幡宮十三代目宮司━━今地良昌

白崎八幡宮十四代目宮司━━今地良教

白崎八幡宮十五代目宮司━━今地民部亟藤原良昌  ~萬治4年(1661)没

白崎八幡宮十六代目宮司━━今地乎女正藤原良之  ~天明5年(1785)没

白崎八幡宮十七代目宮司━━従五位下隠岐守藤原朝臣今地利香  ~文化4年(1807)没

白崎八幡宮十八代目宮司━━従五位前伊豆守藤原朝臣今地香足  ~天保8年(1837)没

白崎八幡宮十九代目宮司━━今地隼人藤原利諄  ~明治17年(1884)没

白崎八幡宮二十代目宮司━━従五位下筑後守藤原朝臣今地紀香  ~明治29年(1896)没

白崎八幡宮二十一代目宮司━今地秋津  ~明治43年(1910)没

白崎八幡宮二十二代目宮司━今地利夫  ~昭和34年(1959)没

白崎八幡宮二十三代目宮司━今地良隆  ~昭和61年(1986)没

白崎八幡宮二十四代目宮司━今地久子

白崎八幡宮二十五代目宮司━今地紀尊

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